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● 脱サラIT漁師よりご挨拶

阿部貴俊、43歳です。昨年まで、首都圏の大企業で管理職として働いていましたが、辞表を提出。背広を脱ぎ、脱サラ漁師として、ふるさとの牧浜にUターンしました。

牧浜は石巻市牡鹿半島にある小さな港町で、震災で壊滅しました。父親を始めとする地域の漁業者たちが営んできた水産業を進化させ、新しい牡蠣養殖に挑みます。ゴールは、ニューヨークのオイスターバーに「MAKINOHAMA(マキノハマ)」のブランド牡蠣を。

その第一歩として、現在、出荷の目途が立たず、海の中で出番を待っている牡蠣を販売します。かつて絶滅寸前だったフランスの牡蠣文化を救い、現在も広島を始めとする全国の海に「種牡蠣(カキの赤ちゃん)」を出荷している牡蠣の聖地、ここ石巻湾で水揚げしたその日に直送致します。


● 脱サラし、漁師に転職したワケ

石巻市牡鹿半島にある牧浜は、高齢化を伴う人口減少が襲う小さな漁村でした。震災で漁港は壊滅。復旧作業は一番後回しにされています。牧浜で生まれ育った私ですが、ふるさとの現状を看過できず、一念発起。従業員4万人、年間売上8000億円の企業でようやく管理職まで上り詰めましたが、そのキャリアを捨て、漁師に転職しました。

上司や同僚には引き留められましたが、決意は変わりませんでした。都会では、震災はすでに過去の出来事のように思われ、通常の生活に戻っていました。居酒屋では『復興支援で東北の酒・魚・食材』がメニューにあり、お客さんはオーダーしていますが、でも、この魚がどんな環境下で、どんな思いで獲ったのかは知るはずもありません。生産者の顔がもっと見えるようにし、生産現場への理解を深めた消費者に適正価格で買ってもらえるような新しい水産業をやりたいという気持ちが強くなっていきました。

私は子どものころ、朝4時に起きて、父親の養殖の手伝いをしていました。氷点下になる冬場の船上での作業は、とにかく寒く、体に堪えます。生産者の思い、生産現場の苦労を、子どもながらに身を持って感じてきました。だからこそ、被災したふるさとに置かれた父親を始めとする漁師たちが置かれた現状(復旧工事が後回しにされ、漁業者が無職の状態が続いた。ようやく仕事ができるようになっても、震災前同様、カキが買い叩かれている)を見過ごせませんでした。

「このままでは地元が消滅してしまう。故郷は見捨てることのできない場所、リスクを負うのは自分にしかできない与えられた仕事。『誰かが立ち上がらないといけない』」。この思いが背中を押しました。

現在は、父親の養殖作業を手伝いながら、首都圏のレストランへの売り込みなど、新しい販路の開拓に取り組んでいます。そもそも、収獲しても販売先を確保できない状況のため、牡蠣をまた海に戻し、網の中で保管しています。これを直接消費者の皆さんに購入していただくために、「希望の牡蠣プロジェクト」をスタートしました。牡蠣ひとつ100円で一万個販売することを目標にし、Facebookやチラシを通じて呼びかけています。

また、若い女性などの消費者を対象に、漁業体験ツアーも実施。船上で養殖作業の体験をしていただいた後、私の自宅で牡蠣料理のフルコースを味わっていたくなど、生産者と消費者の距離を縮める取り組みも行っています。

ゴールは、牧浜の再生と、ニューヨークのオイスターバー「MAKINOHAMA(マキノハマ)」のブランド牡蠣を。このゴールは、とても私ひとりで到達できるものではありません。多くの方にご参加いただき、ゴールにたどり着きたいと思います。